3.11浦和地裁「死刑判決」57カ年糾弾!第3次再審闘争勝利!埼玉集会へのメッセージ
58年前の1963年5月23日、別件逮捕された直後から、狭山事件の犯人としての取り調べを受け、1か月近く否認したものの、嘘の「自白」をしてしまいました。しかし、私は犯人でないので、犯行経緯がわからず、調べ官に誘導されるまま調書が作られていったのです。
浦和地裁では、弁護団が証人調べの申請をするも、すべて棄却され、「自白」調書は真実だと決めつけ、「死刑」判決が出されました。あの時、裁判官が弁護団の申請通り証人尋問をしていたら、私自身だまされていることに気づき、内田武文裁判長の判断も違っていたかもしれません。
内田裁判長は判決前に「この事件は国民が注視しているので、スピード審理をしたい」との談話通り、わずか半年の審理で、偏見に満ち満ちた、結論ありきの「死刑判決」を下しました。
その結果82歳になった現在も無実の罪が晴れず、58年に及び裁判闘争を余儀なくされています。
本来なら今日の糾弾集会に、私自身が訴え、支援のお願いに参らねばならないところ、コロナ禍のなかで、活動もままならず、支援者皆様に、ご迷惑、ご心配をおかけして、大変に申し訳なく思うと同時に、皆様がこの困難の中で、糾弾集会に決起して下さっていることに心から感謝申し上げる次第です。
私自身は、この第3次再審に勝利し、冤罪を晴らすために、体調管理を万全にしておりますので、元気そのものであります。
浦和地裁・内田裁判長が下した差別判決は断じて許せませんが、弁護団の尽力で、科学的な新証拠が多数出され、有罪判決の誤りと私の無実は満天下に明らかになっております。今は、第3次再審闘争勝利に向けて全精力を傾けて闘っていますので、皆様方にもよりお力添えのほど、切に願っております。
石川 一雄
3・11は狭山差別裁判原点の日 |
1964年3月11日、浦和地裁・内田武文裁判長は半年のスピード審理で石川に死刑判決を下した。 狭山差別裁判の原点の日である3・11に部落解放同盟埼玉県連は絶対に許さない、忘れない、勝利に向けて闘い続ける日として、ずっと糾弾集会を開いている。ちょうど、10年前の3月11日は東日本大震災があり、その後の津波、福島第一原発事故と二重にも忘れられない日となった。 今年は2021年3月6日(土)13時30分から3.11狭山集会が開かれる。コロナ禍のなかで、対応を充分に行い、少人数での集会とし、私たちはビデオメッセージでの参加となった。 事件発生から58年、今第3次再審請求中だ。石川は82歳になった今も、まだ訴え続けている。 今度こそ 今度こそ・・・・・・ |