近 況  2021年7月26日

 前回の東京オリンピックは、1964年10月10日から始まった。狭山事件発生の翌年だった。上記歌にあるように、そのころ石川は塀の中に閉じ込められ、塗炭の苦しみの中にいた。
オリンピック開催を1年後に控え、国家権力は、安全、安心の日本を世界に誇示すべく、威信をかけて、治安維持のためになりふり構わず国家権力を総動員したのだろう。狭山事件の背景にオリンピックが影を落としたことは推察される。
当時の状況と今は似ている様に思う。2020オリンピックは、新型コロナの世界的流行のなかで、1年延期された。しかし、状況は改善されるどころか、新型株も出て、1年前よりも状況はひどくなっている。オリンピック開催のスローガンも「復興五輪」から「人類がコロナに打ち勝った証し」そしてスガさんの一つ覚えのような「安全・安心」のオリンピックと変わっていった。オリンピック憲章に掲げられる「人権尊重の理念」はどこへやら、コロナ禍で人命を危険にさらしてまでも五輪を強行。国民には我慢、自粛を強いてオリンピックだけはお祭りさわぎを優先。オリンピックが始まれば国民はすべて忘れてオリンピックに熱狂し、支持率も回復、選挙にも勝てると思っているのだろう。しかし、私たちはオリンピックの本質を見せつけられた。商業主義、政治利用、命よりオリンピック開催を優先。今回そのことが分かっただけでも良かったのかも知れない。このような国家権力の暴走を食い止めるには、総選挙で政権交代しかない。「仕方ない」と決して諦めないことだ。それが人権尊重、冤罪を無くす社会に繋がる。狭山の闘いに繋がる。

 私たちは2回のコロナワクチンの接種を終えた。ワクチン接種のリスクを心配しながらも、持病があり、高齢な私たちは、ワクチン接種を選んだ。私は6月上旬と6月下旬に接種した。その後、私自身、1か月以上、倦怠感・疲労感に苦しんでいる。「年かなぁ」「暑さにやられたのかなぁ」と自分自身で思っていたが、テレビを見ていたら、「ワクチン接種後の副反応に『倦怠感・疲労感』が長く続く人もいる」と話していた。何か腑に落ちた。今はだいぶ良くなったが、未知のワクチンのこわさを思い知った。

 たくさんのうれしい出来事もあった。7月18日、埼玉県の丸木美術館のスタッフの方から狭山署名395筆が送られてきた。何年か前、「狭山事件の再審を実現しよう」管理人のMIKAさんが丸木美術館に行ったとき、署名用紙を置いてくれるようにスタッフにお願いしてくださった。それ以降、丸木美術館のスタッフの皆さんから何度も署名を送ってくださっている。MIIKAさんの行動力・実行力に感謝するとともに、丸木美術館のスタッフの皆さんに心からの感謝を。

 7月18日は兵庫県「宝塚市民の会」の皆さんの狭山情宣、23日には「埼玉東部市民の会」が南越谷駅での狭山スタンディングに、北埼住民の会の皆さんと共にうだるような暑さの中で20人位の人が駆けつけてくださったそうだ。6月に「東部市民の会」が狭山チラシを作られたが、今回、北埼住民の会の皆さんも、大阪府連のSさんにお願いして狭山のチラシを作ったとメールを頂いた。

 
「狭山差別裁判を考える福山市民の会」狭山情宣 7月23日

池袋駅での狭山情宣行動、くまもとからは「23日、曇り空で坐り込み日和。みんな元気に頑張っています」とのメール。
広島県の「狭山差別裁判を考える福山市民の会」は昨年4月に発足して以降、毎月23日の狭山情宣行動を続けられている。「今回の23デーは12名が参加し、1964年の東京オリンピックの1年前、差別・冤罪事件としておきた狭山事件の、再審請求のハガキ提出を呼びかけました。『勝負の年』福山での行動を高めていきます」とのメールと写真を送って頂いた。炎暑の中でも狭山行動が全国各地で行われている。

 
「 北埼住民の会」作成の狭山チラシ

1963年7月9日、狭山事件で石川は起訴され、狭山警察署から浦和拘置所に移管された日だ。9月4日には浦和地裁で、第1回公判が開かれた。長い長い闘いの始まりだ。最近石川は考え込む日が多くなった。
2021年7月24日、狭山パンフレットのインタビューとビデオメッセージの撮影。
山梨県のメグさんから「カサブランカが咲いた」と素敵な写真が届いた。うれしいな~
狭山の闘いは熱く温かい。これが狭山だ。