近況  2021年8月24日

 
 8・23墨田 23情宣行動

10日以上も長い雨が続いた後、2日位は蒸し暑く、やっと今日(8月24日)は少ししのぎやすいと思ったらもう8月下旬。

毎月の23日には23デーの闘いの多くのメールが届くが、この日は埼玉のAさんからだけ。
Aさんのメールはいつも温かく、私たちに大きな力を下さる。「~東部市民の会の南越谷駅前のスタンディングに北埼からも私と友人2人で応援に行きました。参加者は17名でした。~今日はいつも以上にチラシを受け取って貰えました。『頑張ってください』と2人の方が声をかけてくださいました。

 
 8月23日南越谷駅スタンディング

うれしくって深々と頭を下げ、『ありがとうございます!がんばります!』と大きな声で応えました。勿論、私以外の方たちも声をかけて頂いていましたし、署名をして下さる方や、説明を熱心に聞いて下さる方たちもいました。何時も以上の手応えを感じました。越谷市職の元組合員の方や、市民ネットの女性議員のYさんは毎回のように参加され、Yさんは、自作のメッセージボードを持ち『~数年前まで、私は狭山事件を知りませんでした。石川一雄さんに直接お会いし、お話を聞いたり、獄友の映画を観たりし、狭山事件について学習させて頂きました。ぜひ皆さんにも狭山事件を知って頂きたいと思い、こうしてスタンディングに参加させて頂いています。~狭山事件の再審開始を求める闘いを自分の重要な課題として取り組んで行きたいと思っています。』等とマイクアピールされていました。

   
 8月23日 池袋  8月21日 兵庫 

Yさん以外にも、Sさんという越谷市議の方も毎回のように参加してくださっています。越谷はやっぱりすごいです」

 フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」には、池袋、神戸、墨田、南越谷駅等、4か所の23デーの報告があった。

他にも各地で多くの闘いが続けられていたのだろう。

 1977年8月9日は最高裁が「上告棄却」をした日、8月16日「無期懲役」が確定した。8月30日、東京高裁に「再審請求」。9月8日、石川は「千葉刑務所」に移監された。再審の闘いも44年になる。
狭山パンフレット518号(最新版)のインタビューに書かせて頂いたが、1977年8月、私は徳島で、石川の悔しさ、無念を思い、私自身も怒りと悔しさで涙を流し続けた。しかし、石川はまた不屈に立ち上がり、闘いを進めていった。

 8月23日の朝日新聞に「部落問題 司法の判断は」との記事があった。
全国部落調査裁判(差別を助長する被差別部落地名リストの削除や復刻版出版禁止を求める)が9月27日、東京地裁での判決日。
差別は許されない。当たり前のこと。差別は命をも奪う。私が生まれた小さな被差別部落の中でも、私が知っているだけで結婚差別にあい、二人の女性が自死された。私より2歳年下のAさんは大阪で結婚差別を受けた。部落解放同盟あげての大きな差別糾弾闘争となったが、彼女の命は帰ってこない。彼女や、両親の無念、悲しみ、悔しさ、怒り!
どれほど多くの人が部落差別に抗い、闘い続けてきたことか。力尽きて倒れた人も。私自身も結婚差別、就職差別、また日常での数えきれない差別に出会った。しかし、差別に肯かず、共に闘う人たちがいたことが私を支えた。そしてこれが希望となった。

埼玉の邦子さんから大きな梨が届いた。瑞々しくおいしかった。
ハイビスカスの花が素敵だった。
少し前まで咲いていた蓮の花、今は大きな種がいっぱいだ。