近況    2021年9月5日

 9月に入り狭山はずっと雨だった。今日(9月5日)は久しぶりの曇り空。道路は昨夜の雨で濡れ、愛犬の散歩には出られない。8月までの猛暑と打って変わって朝夕は寒い位だ。
 昨日(4日)久しぶりに菅家利和さん(足利事件冤罪被害者)から「石川さん、元気?コロナで大変だね。」「私も昨年2月ごろから全然出てないよ。早く会いたいね。」「高裁前アピールが始まったら必ず行くから。」 いつもながらの力強い応援の電話。みんなに会いたい。

 9月4日 徳島で同じ職場で仕事をしていたNさんから「スダチ」が届いた。私が狭山に来るために仕事を辞めて24年になるが、Nさんは、辞める少し前に、2年ほど一緒に仕事をしていた上司だった。振り返ると、多くの先輩や、友人たちに恵まれた。就職をしたころは、労働組合も、部落解放運動もなかった。劣悪な労働条件や、部落差別の横行する中で、苦しんだ年月も、労働運動や、部落解放運動の闘いの中で、環境が整えられていった。私が願っていたのは、「狭山の勝利」と、「被差別部落の人がこの職場に入ってきたときに、『この職場で良かった。部落解放運動があって良かった。部落問題を話すことができる職場で良かった。』と思える職場にしたい。」という単純な事だった。そのことは障がい者解放運動、女性解放運動にも通じる事でもあると思う。

 
 石山絹子さん、 塚田ミサイさんと高裁前で

今もなお、狭山を支援し続けてくれている組合の仲間、退職してもなお、「市民の会」を結成し、応援し続けてくれている仲間、運動の中で出会った仲間がいる。私自身も石川と同様、多くの同志に恵まれた。この事は幸せなことだった。

 9月3日、神奈川のシスター・ミサイさんから「栗」が届いた。ミサイさんとの出逢いは、十数年前の熊本だ。彼女は熊本の「狭山坐り込み」の時に通りかかった。そこで坐っていた私がミサイさんに声をかけたのが始まりだ。「桜井さんの国賠勝利に光をみました。次は石川さんですね。違法の取り調べに高裁が動いてくれることに希望のあかりを願います。ワセの栗を毎日拾い、ご夫妻の気分転換になればと感謝をこめてお届けする喜びを味わっております。(一部抜粋)」長い温かいお手紙に胸がいっぱいになる。


 同日、新潟の野田さん(曹洞宗)から署名5筆が届いた。以前は各地に精力的に出かけられ、各地から署名を送ってくださっていた野田さんも、コロナ禍の中で、巣ごもり状態が続き、生活が一変したそうだ。お便りには「一日も早く再審が実現することを願っています。(一部抜粋)」と書かれていた。

 岐阜の玲子さん、署名10筆とカンパを送って下さった。お手紙には「納豆をお送りすることができませんので、納豆を食べてください。(一部抜粋)」と書かれていた。

  マスクをたくさん送って下さったYさん。彼女のお手紙には「ホームページには書かないでね。(一部抜粋)」とあった。ほんとにありがとう。

 9月2日、埼玉県連の片岡委員長が狭山に来られた。石川の短歌を埼玉県連の解放新聞等に載せたいという打ち合わせだった。