異議審棄却糾弾!浦和地裁「死刑」判決糾弾!
3・8狭山特別抗告審闘争勝利埼玉集会

 2002年3月8日午後6時過ぎ、会場に入ると「うっちゃんバンド」が歌っていました。
 うっちゃんバンドは「真実はこの手に」「1枚のポスター」「狭山市民の会の歌」等多くの狭山の歌をつくり歌っています。

 会場は「さいたま県民健康センター」大ホール、死刑判決が出された浦和地方裁判所の近くということ、 また異議申し立てが棄却されて1ヶ月余りということもあって、怒りの熱気の中、午後6時30分から集会が始まりました。
 
 弁護団特別報告として青木弁護士から、「狭山事件はおかしなことだらけ、石川宅の「鴨居」から発見された被害者のものとされる万年筆の発見経過のおかしさや、万年筆に被害者の指紋も石川さんの指紋も無い、被害者が行方不明になったその日、ペン習字の時間に書いたインクの色はライトブルー、発見されたインクの色はブルーブラック等万年筆1つとっても矛盾だらけで、石川無実は明らか」等報告されました。初めて聞く人にもわかり易く、もっともっとお話を していただきたいと思いました。

多くの支援団体から連帯の挨拶をいただきました。

埼玉教職員組合委員長・武井さん
「震えるような怒りと無念さで棄却を聞いた。石川さんから『教育の大切さ』を聞いてきた。 県南の中学校で狭山事件を題材にした人権総合学習が取り組まれた。子どもたちは差別と闘う人の姿から自らにひきつけて人権尊重の生き方を学んでいる。真実を見極めようとする子どもたちの感性はすばらしい。裁判所はなぜ事実をしっかりと見ようとしないのか!共にがんばりたい」
埼玉県同和教育研究協議会会長・荻原さん
「全国同和教育研究協議会の会長をされていた西口先生は『同和教育こそ教育のまことである』と訴えられていた。このまことが狭山事件では踏みにじられ続けている。どこまでもどこまでも 絶対あきらめない」
全農林委員長・鈴木さん
「狭山を知らない若い組合員に狭山を伝えていく」
地元の狭山支部長、・石川六造さん(一雄さんの兄)
「万年筆発見のとき立ち会った。1回目、2回目の捜索のとき 捜査官が鴨居を調べた。そのときは万年筆は無かった。無かった所から3回目の捜索で万年筆が出てきた。きつねにつつまれた思いだった。部落だから、犯人にされた。警察官は私に『犯人はおまえでもいいんだ』と言った。両親がいたから頑張れた。弟の冤罪が晴れるまで命の限り闘う。そうでないと両親にもうしわけない。更なる支援を」
石川一雄
「63歳の現在の私は人生の半分以上を無実でありながら、獄中で過ごすことを余儀なくされた。内田裁判長が弁護人の申請を受理し、私に「犯行現場」と言われる所で説明を求めていたとしたら、犯人でない私はどんな説明も出来ず、戸惑ったはずであり、それが結果的に無実を証明することになっただろう。私を犯人に陥れた内田、寺尾、高木、高橋等裁判長や、ウソの自白に追い込んでいった取調官を私は地獄のそこまで追いかけていく、 という気持だ。今特別抗告の闘いが始まっている更なる御支援を」

 

集会が終わって届いたメールです。

久喜市・わこさん
「初めて参加した。会場の熱気とお兄さんの力強い話、一雄さんの闘いへの決意がひしひしと伝わってきた。狭山事件を友人に伝えたい」
さいたま市・邦子さん
「いつものとおり集会前に「県南石川さんを支援する会」の仲間が浦和駅でビラ撒きをした。仕事を終えた仲間が次々と駆けつけてくれた。マイクが無いので大きな声を出した『石川さんは無実です!狭山事件を知ってください!ビラを読んでください』と訴えると・…皆さんよく受け取ってくれた。特に若者が自分から手を出してくる多さに感動した。あきらめず、新しい風をもっと吹かしたい」
児玉町・ちひろさん
「初めて3・11集会に参加した。青木弁護士の話を聞き狭山現調に行ったときのことを思い出した。 これからも応援していく」

 わこさんは、私のホームページで集会を知ったそうです。「県南石川さんを支援する会」は毎年3・11集会に浦和駅で独自にビラまきをしてくれています。ちひろさんは、連れあいさんと集会に来て下さいました。
 個人や組織の多くの仲間の力が狭山を支えてくれているのです。


 今、アメリカでボブ・ディランに会って狭山の歌を作ってもらおうと熱い思いだけを持って無謀な企画にチャレンジしている宝塚の岸本姉弟がいます。最新のニュースです。3月15ー16日、ミシガン州立大学の「アジアにおける人権」集会に参加し、部落差別、狭山事件についてアピールすることになりました。さすが岸本!やっぱり岸本!