部落解放共闘結成50周年記念講演   狭山事件・石川一雄さん講演会

  2016年12月3日、大阪人権博物館(リバティおおさか)で、部落解放大阪府民共闘会議2016年度定期総会の後、部落解放共闘結成50周年記念講演会に呼んで頂いた。狭山闘争は、今が最大の山場であり、解放共闘の中心的課題として闘い続けて来た狭山の闘いを盛り上げようと、50周年記念の行事に呼んで頂いたことに関係者、また会場一杯埋め尽くすほどの支援者の皆様に感謝の気持ちで一杯だ。
  12月2日、解放共闘のYさんから「フェイスブック等で呼びかけて頂いたこともあり、愛知県を始め、多くの人から問い合わせがあった。」とのメール、大阪のBinさんから「リバティでの講演会、彼女も行くと言っているので予定しています」等、うれしいメールを頂いた。滋賀のNさんからは「予定していたけど体調不良のため今回は自重してやめておきます」とのメールも。
  3日、大阪駅で駅員さんに「芦原橋駅に行きたいのですが、何番ホームから乗ればいいでしょう」と聞くと「一番ホームです」と教えて頂いたので、一番ホームから電車に乗った。芦原橋駅と気をつけて車内放送を聴いていたのに気がつけば芦原駅を通り越して3つ目?の「天王寺駅」。驚き、急いで電車を降りてホームをあちこちしていたら、知り合いにばったり。彼から「快速だと芦原駅は止まらない」と教えられた。時間にゆとりを持って出たつもりが約束の時間ぎりぎりにセーフ。このようなことがあるから気をつけないと・・・・。

 
山口勝己・解放共闘議長   解放共闘事務局長・村井康利さんの司会で


 14時15分に定期総会は終わっていて、関係者の皆さんが、14時30分から始まる記念講演の準備をされていた。この出来事で、緊張していた気持ちも吹っ飛んでいた。
 広い会場に一杯の人が来て下さった。
まずDVD「冤罪を作り出す『取り調べ』ー狭山事件」上映の後、司会の解放共闘事務局長(解放同盟府連書記長)村井さんから「1974年、中学生の時に東京高裁寺尾裁判長の無期懲役の判決があり、1977年8月9日、真夏の暑い日、最高裁で異議申し立てが棄却され、『無期懲役刑』が確定した。8月9日の棄却は今もはっきりと覚えており、ただ呆然としていた」と話された。中学1年の時から解放研を結成したり、子ども会活動から狭山を学び闘って来た村井さんにとっても、この39年の狭山再審の闘いは長いものであったのだろう。「下山鑑定で今度こそ」の決意のこもった挨拶を頂いた。
 解放共闘議長 山口勝己さん(自治労大阪委員長)から「今日の総会で議長になった。解放共闘結成から50年、機関紙「解放共闘大阪」も1000号を超えた。部落解放、狭山闘争勝利は車の両輪。共に闘う」との主催者あいさつがされた。

   

 石川は無実を訴え53年の闘いと、山場の狭山闘争への更なる支援を訴え、会場から大きな温かい拍手を頂いた。
 橋本寿樹副議長(情報労連大阪地協議長)より閉会の挨拶と団結がんばろうの三唱、記念講演を終えた。
 これまで、大阪の解放共闘のYさんには、100回を超えて、各労働組合や解放同盟各支部等への狭山支援の訴えの場を設けて頂いた。Yさんとは私が狭山に来る前からの知り合いで、部落解放運動や、狭山の闘い等の講師として、徳島に何度も来ていただき、その学習会に私も参加していたが、この様な形でまた出会うとは夢にも思っていなかった。1996年12月に石川と結婚して、3年後の1999年に東京高裁は第2次再審を棄却した。その時、私はインターネットで多くの人に狭山を発信したいと思ったが、パソコンに触ったことも無かった私は、なかなか踏み切れずにいた。その頃、Yさんに「がんばって発信して」と背中を押された。それからパソコン教室に通い、2000年「えん罪 狭山事件」のホームページを立ち上げた。あれから16年になる。
 改めてYさんに心から感謝したい。解放共闘50年の闘いの歴史を中心的に支えてきたYさんや多くの皆さん、ほんとうにありがとうございました。

 芦原橋から大阪駅に向かう帰りの電車の中で、女性に声をかけられた。Kさんは今回の大阪の講演や、滋賀での講演を「狭山事件の再審を実現しよう」のフェイスブックで知ったそうで、滋賀には行けなかったけれど、何としても今日の大阪の講演には行こうと日程を調整した」と話して下った。電車から降りる時彼女からメモを頂いた。「今日はお会いできて最高にハッピーです。私は鳥取県の出身です。私の父も一男です。再審無罪をかちとる日まで共に闘います!!」と書かれていた。
 今回も新たな素敵な出会いを頂いた。私たちもハッピーだ。
 狭山の闘いは素敵な人たちとの出会いの旅だ。