司会の根本さん(横浜市協議会)

 2017年1月13日 横浜市健康福祉綜合センターで、「第2回 差別と人権を考える横浜市民講演会」が開かれた。「文字を取り戻すために」と題し、ハンセン病回復者石山春平さんと狭山事件で54年無実を訴え、再審裁判を闘っている石川一雄の対談だった。
 対談に先立って昨年12月、狭山で打ち合わせをしたのだが、昔を振り返り、奪われた文字を取り戻し、どこからどのように見ても絶望と苦難しかないように見えた二人ではあるが、その時その時を精いっぱい生き、闘いぬいてきた二人に共通していることは、挫折しそうになっても、また立ち上がり、けっしてあきらめなかった闘いに多くの人たちが共鳴、共感し、闘いを支えてくれた事だったと思う。だからこそ、闘いに希望があり、生きる力をもらったのだろう。二人の闘いがまた多くの人に、希望も展望も持たせたのでないだろうか?
 石山さんも石川も、人に裏切られただけではなく、人に助けられた。沢山の人の支えがあったと話す。予断・偏見でなく、真実を見ぬく力が大事だと話す。石山さんが「長い間、隔離された社会の中にいて、快復して外に出ても故郷に帰れず、電車の切符の買い方も判らないが人に聴くことも出来ないので社会に出ることもままならない。療養所では故郷に帰れないと思うほど望郷の念が募る。療養所の中の人たちは『死ぬ前に一度故郷の土を踏んでみたい』と言っていた。私は、ハンセン病になって、若い時はつらい事ばかりのように思ったが、今はそのことを受け止めて、生きていてよかったと思っている。今81歳、100歳まで生きて、ハンセン病(回復者)の最後の一人になろうと思っている」と話された。重い言葉だった。石川も同じ、24歳で別件逮捕され、32年間の獄中生活を経て社会に出た時、自動改札になった駅や、逮捕される前は、砂利道だった道路がアスファルト道路になっていた。故郷に帰っても知らない人ばかりに戸惑い、「浦島太郎」を実感した。そして仮出獄して23年経った今も、『殺人犯』の汚名を着せられたまま、冤罪を晴らす長い闘いが続いている。

   
石山春平さん  石川一雄 

 差別は権力者が人々を分断支配するために作られ、それを支え温存助長してきたのが私たちなのだ。そして、実際に直接差別するのは身近に接触している人の場合が多い。 そしてその人を憎み、本当に闘うべき相手を見失ってしまう。正しく知ることによって判断できる一人ひとりになることが大事だと思う。 

   
石山さんご夫妻と  フランスの記者の取材中 

 狭山の裁判はまだ勝利できていないけれど、二人のトークを聴きながら、差別によって教育を奪われ、多くの物を奪われ続けたと思える二人が、文字を取り戻し、それぞれの闘いの中で光を放っている事や、苦難の人生の中にあってもけっしてあきらめず、希望を持ち続けて懸命に生きてきた二人に、私は希望をもらった。
 広い会場いっぱい来て下った皆さんに心から感謝したい。島根県や、東京、埼玉、千葉県など私が気がついただけでも各地から来て下さっていた。
 毎年狭山現調に来て下さる労働組合の人たち、「40年前に現調をしました」と声をかけて下さった人も。千葉のKさんに「遠い所から来てくれてありがとう」と声をかけると「フェイスブックのMIKAさんから連絡があってきました」とのこと。この講演会が成功するようにと、沢山の人が沢山の人に連絡して下さったんだろうな~。 皆さんありがとうございました。

 またこの日、「FRANCE24」のフランスのジャーナリストと、11月21日、フランスの「リベラシオン」という新聞の狭山の特集記事で石川の写真撮影をされたAさんも取材をして下った。
 狭山裁判の行方を今世界が注目している。

 1月14日、今日は石川の78歳の誕生日。昨日の集会で千葉のKさんから「明日は誕生日ですね。一日早いけどおめでとうございます」と声をかけられたそうな。 今日MIKAさんや、兵庫、徳島からも「おめでとう」のメールを頂いた。
 元気に78歳を迎えられた。そのことがうれしい。殆ど見えなかった右目も少しずつ良くなっている。人間明日はどうなるかわからないが、それでも今は元気だ。昨年、早かったが、ウォーキングシューズをプレゼントしていた。今夜の夕食は早めに、彼が好きな辛み餅(大根おろしを乗せた餅)とケーキ、牛乳でお祝いをした。ケーキ(小さな)は勿論私が頂いた。石川はニコニコしていた。 

   

 今年一年がいい年でありますように!!

 今日もメジロ、鳩が狭山現地事務所に来ていた。