狭山再審要求熊本県民集会   2017年6月28日

 天気予報は雨、辛島公園での屋外集会なので、一番心配したのは雨が降る事だった。東京・日比谷野外音楽堂で5月と10月に開かれる狭山市民集会を除いて10年位、屋外集会はなかったと記憶している。以前にも熊本の辛島公園での集会が開かれたがそれもたぶん13年くらい前だったろうか。屋外集会はお天気の心配もあるし、また、デモ行進がされるなら、さまざまに面倒な手続きも必要で、リスクが大きいように思う。その分主催者がご苦労され、時間をかけて準備を進めて下さっていることに感謝と、申し訳なさでいっぱいになる。

   
松永委員長の挨拶  商店街をデモ行進 

 18時30分から始まる集会に合わせ、狭山を9時半ごろに出て、熊本駅に17時前に到着。新幹線の中で「大崎事件再審開始決定」の一報が、大阪のBinさんからメールで入る。再審開始決定の内容は判らなかったものの喜びでいっぱいになる。まもなく、鹿児島地裁に傍聴に行っていた布川事件の桜井さんや、中央本部のYさんから連絡が。16時過ぎ、Yさんから「心理学者の鑑定を根拠に自白の非体験性、無知の暴露があるとして共犯者とされた人たちの自白は信用できないとしたことが大きな理由だそうです。狭山にもプラスです」との内容が届いた。うれしくて新幹線の中から多くの人に「大崎事件再審開始決定出る」のメールを送ると、ルポライタ-で、狭山事件の再審を求める市民の会事務局長の鎌田慧さんや多くの方から「次は狭山だ」とのメールが届いた。
 熊本に近づいて来たので、新幹線の中から「くまもと『狭山事件』を考える住民の会」のIさんに「お天気はどうですか?」とメールを送ると「今は降ってないけど、集会が始まる18時半ごろは微妙です」との返事。

   

 熊本駅には住民の会・代表の磯田さんたちが待っていて下さった。ホテルに直行し、17時30分から半時間ほど、熊本日日新聞のインタビュー後、18時15分過ぎに辛島公園に到着。ここは熊本の住民の会が、2002年6月23日から、毎月23日(石川一雄が1963年5月23日に別件逮捕された日にちなんで)に7時から19時までの12時間坐り込みを続けているところだ。180回目の坐込みの、2017年5月23日は、東京・日比谷で狭山市民集会が開かれたが、辛島公園での坐りこみには狭山弁護団の横田弁護士も参加され、また、学習会も開かれたそうだ。180回と簡単に書いたが15年間、雨が降っても、雪の日も、暴風雨の日もまた昨年、熊本での大震災の時も、辛島公園に集まり、ご自分たちも被災しながら、テントを出して、炊き出し等の活動を続けられた皆さんの熱意と闘いはまた、多くの人を力づけたと伺っている。

 
デモ行進委出発 

熊本から毎年狭山現調に来て下さっている解放子ども会(子どもや地域の人たちが、一年間空き缶や、新聞紙などの回収をしながら資金をためて狭山に来て下さっている)や、これまで、狭山現調に来て下さったり、熊本で私たちの訴えを聴いて下さった、解放同盟、共闘の皆さん、宗教者の皆さんたちとお逢いすることができた。
 14~5年前、愛媛県から熊本に引っ越されてきた淳子ちゃんに久しぶりにお会いできたのもうれしかった。体調を崩しているにも関わらず、辛島公園まで来て下さった淳ちゃんの笑顔とハグ。会場で販売されていた「狭山カレンダー」を4冊買って下さった。
 主催者の部落解放共闘熊本県民会議・議長の上田淳さんの挨拶、部落解放同盟熊本県連委員長・松永末廣さんから挨拶と現状報告、熊本県人権教育研究協議会会長・野口誠也さんはじめ、多くの方が集会に参加して下さった。
 石川は仮出獄した翌年の1995年熊本の集会来たそうですが、ずっと闘い続けている多くの皆さんに今年が山場の狭山の闘いと支援を訴えました。その後商店街をデモ行進しましたが、雨がぽつぽつ降りだしたのはデモの終わったころ。天も味方してくれましたが、住民の会のNさんが「狭山の闘いは雨が降っても雪が降っても関係ないです。雨が降れば透明の傘に『石川無実』と大きく書いてデモします」と話されました。Nさんは1,963年生まれ、石川が逮捕され、32年間獄に閉じ込められ、仮出獄した今も、冤罪を晴らす為に駆け回っている年月が自分の生きてきた人生と重なっている、といつも話されます。その時、鎌田慧さんの言葉を思い出しました。「私は石川さんと同じ年。私が仕事をしたり、学校に行ったり、結婚をしたり、子どもが生まれたり、さまざまな事を経験し、生きてきたが、石川さんは、その時を冤罪で獄にあり、全て奪いつくされた。獄の中で文字を取り戻し、血のにじむような闘いを続けて来た。『無実を無罪に』私の闘いだ」と。

 
 狭山カレンダーの販売も

 デモ行進後、「囲む会」を持って頂いた。私は14~5年前部落解放共闘の事務局長をされていたIさんと久しぶりにお話をさせて頂いた。この時も大きな集会だったのですが、私はIさんとお話した事しか覚えていなかったので、変わらない、ぶれない生き方をされているIさんと出会い、人ってすてきだと改めて思いました。フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」のMIKAさんと4年以上フェイスブックでつながっていると言うHさん、部落解放同盟県連副委員長のOさんが「私は石川さんと同じ年、石川さんと一緒に笑える日を楽しみにして熊本でがんばる」との挨拶に胸がいっぱいになりました。いつも熱い信子さん、彼女の優しさや強さ、狭山への熱い思いにまた触れました。JYUNKOさんは石川の獄中からのメッセージで「字が読めるようになり、推理小説を読むのが好き」だと書かれていたので、推理小説を送ったと話されました。「差別の厳しさと闘いの中で石川さんに励まされた」とこらえられない思いで言葉を詰まらせながら話す彼女の姿が私と重なりました。
 閉会の挨拶で人権教育研究協議会・会長の野口さんから「石川一雄になるな、石川一雄の闘いに学べ、を教育の課題としてきた。その想いは今も同じ」と・・・・・ 体調や、糖尿病ということで食事制限をしている石川は申し訳なく思いながらも健康を考えて「懇親会」はほとんど欠席をさせて頂いていますが、今回は思うものがあったようで、最後に「狭山歌」で終るとき、参加者全員が「人間のクサリ」でと、手をつなぎ歌いましたが、石川からぜひ人間のクサリをして歌っている所の写真をとって欲しいと頼まれました。
 29日、8時間かけて17時ごろ熊本から狭山に帰りましたが、17時半ごろ、30年来の友人の淳子さんから「長旅お疲れ様でした。あんなに蒸し暑い中,キリッとスーツを着て明るく、元気にスピーチをされている姿を見てうるうるしました。狭山の活動は一雄さんが私たち一人ひとりを支えて下さっているんだなあ、と胸が詰まりました。お二人に会えて幸せな気持ちです。」(一部省略)とメールを頂きました。幸せな気持ちにさせて頂いたのは私たちです。
 皆さんありがとうございました。