人権長野県集会  2017年9月23日

 長野にはお会いしたい人がいる。昨年10月2日の集会の時には集会前に山口さんの家に寄せて頂いた。2011年11月12日には車いすで集会に来て下さった山口さん。それ以降は集会に来られなくなったが、私たちはその後も何度か家に寄せて頂いた。今回は私たちは二人とも風邪が治りきっていないので、山口さんにお逢いすることは遠慮したが、17年くらい前に日比谷野外音楽堂で開かれた狭山集会でお逢いして以来、交流が続いてる。「識字学級で文字を覚えた」と言う彼女からお手紙を頂いたのも17年前。「20年以上も識字学級で文字を習っているが、字はなんとか書けても手紙を書くのは難しい。石川さんが脅迫状を書けなかったという事は私が一番分かっている」と話して下さったことを今も覚えている。現在92歳。

   
2016年10月2日 山口さんと  2011年11月12日 山口さんと 

 会場に着くと、Sさんから「もろさわようこさんからお預かりしてきました」と素敵なスカーフとお手紙を頂いた。長野県出身で女性史研究家のもろさわさんは、長野で1982年「歴史を拓くはじめの家」を開かれ、その後、沖縄で「歴史を拓くはじめの家うちなぁ」が、高知に「歴史を拓くよみがえりの家」が建設された。徳島の集会に、講演に来られたもろさわさんと出会い、もろさわさんの呼びかけもあり、何時の頃からか(多分1985年ごろから)徳島の友人たちと個人として連帯、参加させて頂くようになった。狭山に来てなかなか行けなくなったが、石川と二人で高知の「よみがえりの家」で開かれた会に参加したことも。

お手紙には「ご消息は、解放新聞でいつも拝見、無罪の証拠は出そろっているのに、再審がたやすく開かれないのがくやしく、いつも憤っています。」とあり、「高知市協が毎月かかさずおこなっている23デー(一雄さんの検挙された日)には高知にいるときは私もそれなりの役割を担わせてもらっています。反差別・反戦を戦後ともに闘ってきた友人たちほとんどが逝き、私もいまは毎日が一期一会、もう外出も付き添いが要るようになり、タンスにしまって置いたものも、使う当てがなくなりました。あなたにお使い頂ければと、托便いたしました。ご夫妻ともくれぐれもお体気をつけ、無罪判決の日、早やからんこと、こころから念じ上げています。」と慈愛に満ちたもろさわさんのお心がありました。

 
 石川がスマホで撮った会場の写真

 第一部 

講演会は「東日本大震災における避難者の人権問題」と題して「避難の共同センター」事務局長・瀬戸大作さんからの講演でした。瀬戸さんのお父さんが狭山事件の映画を撮られたと伺い驚きましたが、長い闘いの中で、多くの人とのかかわりや、支援を頂いたことを改めて感じました。

 第2部 狭山学習会。

 部落解放同盟中央本部・片岡明幸執行副委員長からの「第3次再審闘争の現状」について、と石川のアピールがありました。

 
片岡中央執行副委員長  歌を読む石川 
 
 長野県民共闘会議星沢副議長の閉会あいさつ

会場いっぱいの人たちに、思いと狭山の真実は届いたと思います。

 閉会挨拶をされた星沢県共闘副議長は「差別しない、差別されない人間として生きているのかと、いつも自分自身を見つめ直している。冤罪や差別を無くし、人間らしい生き方、毎日が過ごせるよう確認しよう「と話された。

 この日、私はカメラを忘れ(携帯電話で撮る)メガネ(近く用)も忘れ、作っていった自分の原稿も読めなかったのですが、温かいお言葉や、お手紙にいっぱいの感動を頂きました。

 皆さんほんとうにありがとうございました。