2017年12月7日、全電通労働会館で連合主催の「人権フォ-ラム2017」が開催されました。
神津里季生連合会長から「拉致被害者への取り組み、狭山再審闘争への取り組みに力を尽くしたい。」との挨拶を頂き、胸が熱くなりました。
毎年連合主催で4月に狭山現調を続けて下さっています。 

   
「人権侵害を許さない」神津会長 中央 神津連合会長と 

 2015年2月10日、映画「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」(金聖雄監督)が第69回毎日映画コンクールでドキュメンタリー賞を受賞し、ミューザ川崎シンフォニーホールで授賞式がありました。オープニングセレモニーで「光のブリッジ」の中を監督と3人で晴れやかに歩いたのを思い出しました。その後とても感激することがありました。
 2015年5月7日、神津さん(当時連合会長ではなかったのですが)たちが、お忙しい時間の中を私たちのために「受賞を祝う会」をもってくださったのです。思いがけない事でした。受賞をとても喜んでくださり、祝う会まで持ってくださった神津さんや、Yさんに感謝の心で一杯でした。映画は完成まで3年ほどかかりました。5畳位の部屋で、撮影スタッフや、金監督、私たちを入れて5~6人。その中で、カメラを回し、マイクを向けられると、最初は息が詰まるようでした。だんだんにお互いの関係がほぐれスムーズになり、撮影も苦痛でなくなりましたが、金監督の「いい映画を撮りたい」との思いが伝わり、賞を頂いた時、しばらくは信じることはできなかったのですが、飛び上がる程うれしかったです。金監督やスタッフ、そして撮影に協力して頂いた多くの人たちのこともありますが、「狭山事件」を題材に「えん罪」や「部落問題」を主題として撮った映画が賞をもらったという事実に涙が出ました。その後、映画上映は多くの人たちのご協力や支援を頂き、全国各地で上映され、映画を見て下さった人たちが、「狭山の闘いからずいぶん離れていたけれどこれからも支援をしたい」「映画を観て高裁前アピール行動に来ました」と、支援の輪が広がりました。
神津会長の挨拶を伺いながら、いろいろなことを思い出しました。
 この日の講演は「北朝鮮による拉致問題と被害者への取り組み」と「狭山事件の真実を語る」でしたが、全国から来て下さった連合傘下の組合員に閉会挨拶をされた山根木連合 総合組織局長は、「石川さんは無実を訴え続けながら国家権力に32年間拘束されていた。今も見えない手錠がかかっている。このような人権侵害を許してはならない」と話されました。私自身も徳島でいるころ(20年前まで)連合傘下の労働組合員でしたが、労働組合運動、部落解放闘争・狭山に出会い、闘いの中で私自身の生き方を変えることができました。そのことを確認した一日でもありました。


 
 中央 石山春平さんと絹子さん(左)

 12月7日 午後6時30分から墨田区社会福祉会館で「熱と光すみだフェスタ2017」が開かれました。

 この日「けっしてあきらめない闘い ~ ハンセン病を生きて~ 」と題して石山春平さんお連れ合いの絹子さんの講演があり、人権フォーラムを終えて会場に駆け付けました。

 石山春平さんは小学校6年でハンセン病と診断され隔離、厳しい差別の中を生き抜いてこられました。退院し絹子さんと結婚。現在はハンセン病への差別、偏見に対し実名で闘い続けられています。「つくづく今、生きていて良かったと思う。人間振り返ると一生不幸な人もいないし、一生幸福な人もいないのではないか。どこかでつじつまが合うようにできてるのだと思う。昔は農道の細い道だったけど、今は四車線で走っているね」と春平さんと絹子さん。穏やかな笑顔の中にどれほどの苦しみがあったのだろうと思うが、「今は最高に幸せ」と話された。


石川も厳しい人生を送ってきたが
それでも人との出会いと闘いが彼に
生きる力や感動を頂いたのだろう
ただ最後に「本当にいい人生だったね」
と言えるように、何としても
「無罪」判決を勝ちとりたい