北足立地区同和教育講演会 2018年2月16日

 北足立地区同和教育講演会が、県南地域人権・同和教育研究協議会主催で、さいたま市立五反田会館で開かれた。
 会長の岩崎さんはじめ、多くの方が高裁前アピール行動に来て下さっている。1月22日、大雪の日、狭山勝手連による高裁前アピール行動にも多くの方が駆けつけて下さっていた。その時、岩崎さんから、2月16日「部落差別の現実から学ぶ『教育の課題』」と題した話をしてほしいと伺い、お手紙と、講演会のチラシを頂いた。お手紙には、「県南地域の先生が20~30人参加するだろうと思っています。「第2の石川青年をつくらない」「第2の石川青年をつくる」その思いを持って子どもたちに日々向き合っている教職員が石川さんの生きざまを教訓に肝に銘じていかなければならない教育課題です(一部抜粋)」と書かれていた。
 岩崎先生の思いのいっぱいつまったお手紙だった。

   
県南地域人権・同和教育研究協議会 岩崎会長  部落解放同盟北足立郡協議会 松島副議長 

 石川は貧しくて、殆ど学校に行く事が出来なかった。教育を奪われていたことが、えん罪に巻き込まれていく大きな要因になったが、その背景には部落差別があった。獄中で文字を取り戻し、取り戻した文字を翼として、多くの人に手紙を書いたそうだ。一番多く手紙を出したのが、学校の先生と子どもたちだったと言う。
 教育にたいする石川の思いは今も夜間中学校に通いたい、みんなと机を並べて勉強をしたい、卒業の免状が欲しいという彼の強い願いとなっている。
 会場には80人を超える先生方が来てくださった。
 主催者を代表して岩崎会長の挨拶、部落解放同盟北足立郡協議会・松島副会長の来賓あいさつの後、お話をさせて頂いた。石川の教育や、子どもたちへの熱い思いがほとばしるような訴えだったようにおもう。

 2月16日はちょうど私の誕生日だった。素敵な花束を頂き、元気に誕生日を迎えることができたことを皆さんに祝福していただいた。一雄流にいうなら「まだ71歳」私流にいうなら「もう71歳」、狭山に来ていつのまにか21年が過ぎた。
 1月が石川、2月16日が私の誕生日という事もあり、講演会の後で懇親会を持って頂いた。今は退職されたM先生と久しぶりにお会いできた。在職中は狭山現調にこだわって、3月になると、生徒たちと一緒に毎年のように狭山に来て下さったM先生。一緒に来られていた息子さんも教師になられていた。彼もいっしょに現調に来て下さったそうだ。
 また、同和教育に関わり続け、多くの人たちに影響を与えられたYさんも大学4年生になられた息子さんと来て下さった。このことがとてもうれしかった。
 帰りの車の中で石川が「みんな温かいね」とぽつり。
 「狭山を闘っている人はみんなあったかいんだよ」と私。

   

 2・15狭山事件の再審を求める比企地区市民集会  

 比企地区狭山事件を考える住民の会主催で東松山市・総合会館で市民集会が開かれた。会場いっぱいの人が来て下さった。大きく動いている狭山事件の今を訴える機会を頂き、多くの人が来て下ったことに感謝の念で一杯だ。
講師は元埼玉新聞記者の広川二六さん「55年を迎える狭山事件に想う」と題してお話し頂いた。広川さんはカトリック教会に所属されている。冒頭3月21日、22日「日本カトリック部落差別人権委員会」主催で狭山現調されることを報告された。

   
元さいたま新聞記者 広川 二六さん  塩田 恵さん (狭山市在住)

 広川さんは、1964年に埼玉新聞に入社し、50数年記者をされ、2年前に退社されたそうだ。狭山事件に関わり始めたのは入社5年目からで、狭山現地に行き、万年筆が3回目の家宅捜索で発見されたという「鴨居」を見て冤罪を確信されたそうだ。「万年筆が発見された時、兄六造さんに万年筆を持たせ、写真撮影されているがその事があまりにもわざとらしくて、強烈におぼえている」と記者の目を通して話された。
「ちょうど1か月前に東京で起きた『吉展ちゃん事件』に引き続いての失態に、警察の焦りが、差別による見込み捜査、人権無視の強引な取り調べに繋がり、えん罪を引き起こした。マスコミも鑑定結果も出ていないのに、『筆跡鑑定が一致』との警察報道をうのみの記事を流した。狭山事件は、見込み捜査、代用監獄、証拠隠し、マスコミ報道等、問題点が多く含まれている。
 狭山事件は部落差別が生んだえん罪事件であり、石川さんの声に応える事が司法の役割、マスコミも反省しなければならない。世論の声で狭山事件を動かそう」と話された。

 その後、塩田恵さんから狭山支援者としての報告があった。塩田さんは狭山市に50年在住されているそうで、現地事務所から15分ほどの所にお住まいがある。「2015年に退職(教師)してからやっと殻を破り、この2年ほどは高裁前アピール行動に参加している。これまで石川さんの苦しみに思いを馳せる事が出来なかった。これからは部落解放運動、狭山の闘いに全力を尽くす」と話された。高裁前でも塩田さんは「詩」でよくアピールをされるがこの日も作って来て下さった。

 人生を返せ(一部抜粋しました)    塩田 恵
①石川さんの55年の自由な人生を返せ
石川さんは文字を うばわれた
うばったのは 誰だ? 石川さんに 文字を返せ
③石川少年は 遊びたいさかりに ガマンを重ねて野良仕事
どんなに遊びたかったか
べえごま かんけり 魚とり ケンカ 初恋 とんぼとり
少年時代の キラキラ どきどきを 返せ 
④石川さんの 青春を返せ
学問を 仕事を 返せ
夢見る自由を返せ
居酒屋の楽しみを返せ
⑥石川さんの人生を うばったのは 一体誰なんだ
警察権力だ 検察官だ 裁判官だ 政治家だ
教育者だ 宗教者だ 
無関心という名の大衆だ
⑧たたかいあらがい続けましょう
石川さんの完全無罪の決まる日まで

最後に主催者から「明日誕生日の石川早智子さんに」と花束を頂いた
今家の中は花で一杯だ
昨年12月21日にせっちゃんから頂いたランの花が今も咲いている
狭山の春は近い