部落解放研究第26回滋賀県集会 2019年2月9日

 
 完全防備の石川

 1週間も前から天気予報はこの日は雪で、大寒波だというニュースに心配していた。会が開かれる米原は、雪が多い所との感覚があり、石川は防寒の帽子や、ジャンバー、私は兵庫県のMANAMIさんから頂いたレッグウォーマーや、ホッカイロ2個を身につけて万全の態勢。
朝7時40分ごろ家を出たが、ぽつぽつと白い物が降ってきた。狭山市駅に着く頃には雪が降り注ぐという感じになり、新幹線が止まらないだろうか、会場に皆さんが来られるのだろうかと心配する。

 11時44分米原駅に着くと、雪もなく、狭山に比べて少し暖かい。ホッとする。米原駅で、袴田事件の、袴田秀子さん、布川事件の桜井昌司さんと合流。駅から500メートルのところに会場の滋賀県立文化産業交流会館があった。

 
 左から袴田秀子さん、石川 桜井昌司さん 安田聡さん

 会場で、いっぱいの笑顔で待っていてくださったのは2016年11月19日、「部落解放第53回滋賀県女性のつどい」でお世話になったKさん、20年来の友人の芙美ちゃんとKさん、うれしいなぁ。
 午後1時からの「平和と人権~えん罪をなくすために~」の分科会での袴田秀子さんのアピールは「巌の獄中48年の間はただ毎日を必死に戦ってきて、長いとは思わなかったが、2014年3月に巌が釈放されてから、この48年が長い年月だったと思うようになった。

毎日死刑執行の恐怖に怯えた生活で、今も拘禁症が続いているが、拘置所から出てきたころより表情がずいぶん柔らかくなった。1年たって初めて巌があくびをしたとき、心に少し平穏が訪れたのだと感無量だった。2018年6月11日、東京高裁で再審開始決定が棄却され、今最高裁で戦っている。がんばるしかない。

心配だが、しかし、巌は今家にいる、私のそばにいる、笑ったりもする。そのことを大事に一日一日を生きていきたい。50年も戦ってきた。あきらめるわけにはいきません」と話された。秀子さんは2月8日に86歳の誕生日を迎えられたそうだ。巌さんは83歳、いくら今は元気だといっても高齢であり、明日はどうなるかわからない。石川は80歳、それぞれに時間はあまり残されていない。

 
  桜井さん「ゆらゆら春」を

 布川事件の桜井さんは今国賠を戦っている。「警察、検察は、出すべき証拠を隠したり、ねつ造したりする、裁判所はそれを見抜けず間違った判断をする。それによって冤罪で長い間苦しむ人たちがいる。冤罪だとわかっても、間違った判断をしたり、犯人に仕立て上げた人たちは責任を取らない。冤罪被害者を出さないためにも、『冤罪犠牲者の会』を立ち上げ、司法改革等を含めた戦いを展開したい。3月2日に会を発足させるので、ご理解、ご支援を」と訴えた。最後に「ゆらゆら春」を熱唱。
 石川は今狭山裁判にとって大きく動くチャンスの時、後藤裁判長に「鑑定人尋問、証人尋問をしてほしいと声をあげてほしい」と訴えた。

 
  控室で 桜井さん 袴田さん 石川

最後に部落解放同盟中央本部の安田聡さんから「冤罪被害者に共通しているのはやってもいないのに『自白』させられたこと、無実を明らかにする証拠が隠され続けていたこと、証拠開示によって無実が明らかになったこと、また裁判が長引くのは裁判所で「再審開始」決定が出ても検察が異議申し立てをすること等がある。警察、検察は大きな権力を使い、証拠を集める、裁判には自分たちに都合のいい証拠しかださない、税金で集めた証拠なので自分の腹は痛まないし、いくら時間がかかっても関係ない。しかし、冤罪被害者にとって、金も時間も限られている。再審事件に対して証拠開示の法律もない。再審の手続きを変える「再審法改正」が大事で、今その動きがある。市民が声を上げないと変わらない。法律はどこで作っているか。国会だ。人権が守られる社会にするために一緒に声を上げていこう」と話された。

 
 狭山市駅に降りると雪景色だった


 会場には、宗教者も来てくださり、「毎年日比谷で開かれている狭山集会に行っています」と声をかけてくださったことにも力を頂いた。
 天気予報と違い、大寒波もなく、雪もなく、本当によかった。
集会からの帰り、高田馬場駅から西武新宿線に乗り換えた。狭山に近づくにつれ、道路や屋根に白いものが積もっていた。
狭山市駅に降りるとまわりは雪化粧だった。