浦和地裁「死刑判決」55ヵ年糾弾!狭山第3次再審闘争勝利埼玉集会 2019年3月8日

 1964年、浦和地裁(現さいたま地裁)内田裁判長による差別裁判の原点ともいえる「死刑判決」糾弾の集会が3月8日、地裁に近い「ときわ会館」で18時15分から開かれた。

それに先立ち、浦和駅で16時から17時まで、「県南・石川さんを支援する会」を中心に、千葉県や、狭山市からも参加され、情宣行動を行った。午後から急に冷えてきたこともあるのだろうか、道行く人たちはポケットに手を入れたり、足早に通り過ぎる人が多く感じたが、中には立ち止まり、マイク情宣に聞き入る人も。

今回は会場入り口に、ものものしい権力(警察、私服等)が、壁のように立ちふさがっていた。このことだけでも、一般市民の人たちは、狭山を敬遠するのではないかと、思われる。そしてそれも、国家権力の狙いの一つなのだろう。ただ集会を開くだけなのに、多大な税金を使い市民を監視し、萎縮させるように立ちはだかるこの人たち。
1974年10月31日の東京高裁・寺尾判決は、多くの人が無罪判決を信じていたというが、高裁前のものものしい機動隊を見て、当時の狭山弁護団・山上益朗主任弁護人から「不安がよぎった」と伺った記憶がある。
いよいよ山場を迎えた狭山差別裁判に対して、権力がその牙をむいてきたと、私自身は感じた。「決して負けない!」怒りの中で、その思いを強くする。

 オープニングセレモニーのミニコンサートは力強く、迫ってきた。
主催者を代表して、片岡明幸埼玉県委員長から「石川さんの元気な間に勝利をつかむ。絶対勝てる。5月に朝日新聞に狭山意見広告を出す」と挨拶

   

連帯の挨拶は、埼玉弁護士会の木村弁護士、山下弁護士から「これからも埼玉弁護士会として、石川さん無罪を勝ちとるまで支援していく」 埼玉同宗連から「一人でも多くの人に狭山を知ってもらう事が大事、狭山意見広告にもともに取り組む」と挨拶を頂いた。

   
埼玉弁護士会・木村弁護士  狭山弁護団・青木弁護士 

狭山弁護団・青木弁護士より弁護団報告。石川は「一審の死刑判決は狭山差別判決の始まりの原点だが、このことを思い返すと自分自身が苦しむ。今は3次で勝利することだけを考え前を向き戦うのみ」と訴えた。最後に差別裁判打ち砕こうを歌い、団結頑張ろうで、集会を終えた。

   
3次で勝利することのみ考えている」と石川  石川さんより10歳年上です」と話す
埼玉住民の会連絡会・秦会長
   
閉会挨拶 持田部落解放共闘会議議長  開会挨拶 狭山事件を考える入間地区住民の会
武井事務局長 

死刑判決から55年、長すぎる裁判闘争に今もなお多くの人が支援し続けてくださっている。
「今度こそ」