第64回全国女性集会が徳島で  2019年5月11日~12日


 2019年5月11日~12日部落解放第64回全国女性集会が徳島で開かれた。
私の故郷、徳島での開催は31年ぶりだそうで、30年前の徳島全女では、私も徳島で全国から来てくださる皆さんをお迎えしていた。

 12日の狭山分科会には、徳島全女開催当時女性部長をされていた幸ちゃんが来てくださった。初代女性部長はFさんで幸ちゃんは2代目の部長だったそうだ。91歳か92歳になられ、識字学級も行けなくなり、今は、ほとんど外に出ていかなくなったそうだが、この日は息子さんと一緒に来てくださった。うれしかったな~。
また徳島で45年識字学級に通っているSさんも「早っちゃんに会いたい」と車いすで来てくださった。以前働いていた職場の労働組合の仲間も退職された2人と、現役のAさんとレイちゃんがきてくれた。大感激の全女だった。

   
 
 46年前、和歌山の山本さんに出した石川の手紙

 分科会終了後Aさんから「実は発表しようと書いてきたのですが、できませんでした。私の気持ちを書いたものです」と手紙を頂いた。手紙には、Aさんが25年以上前に就職をしたとき、一緒の係になり、初めて声をかけたのが私だったそうだ。そして「(略)~なんでもわからんことがあったら聞いてな」と話しかけ、そのあと「狭山事件知っとるで?」と質問され、「これあげるけんぜひ読んでみて!」と狭山事件に関する本を彼女に渡したという。私はまるで覚えていないが、彼女は「早智子さんといえば、その日のことを思い出します」と書かれていた。「省略)~そしてもう一つ印象深い日があります。1999年7月、東京高裁が第2次再審を棄却したときのことです。平日の仕事中にその一報が入りました。周りで泣き崩れた方もいました。息の詰まるような空気に満たされていた、あの時を思い出すたびに、それだけ職場の中で狭山の闘いが根付いていたのだと実感します。早いものであれから20年、あの頃早智子さんと共に働き、労働運動、解放闘争を闘ってきた世代も少なくなってきました。しかし、狭山事件を知らず職場、労働組合に入ってきた若い仲間も、それぞれが身近な学習や、狭山現調などを重ね、石川一雄さんは犯人ではない、部落差別による予断と偏見による差別裁判であると確信しています。(省略)~今年2月、石川さんたちをお招きしての狭山学習会の後の早智子さんのホームページに『国保労組は私のバックボーンです』と書いてくれていました。とてもうれしかったです。早智子さんが職場に来てくれると元気になります。頑張る力が湧いてくるんです~略」等々・・・・・A4用紙2枚にびっしりと書かれていた。静かな中に凛と秘めた芯の強さを感じさせられるAさん。こんなにもいっぱいの思いを持って居てくださったなんて・・・・・・

   

 分科会報告は徳島と和歌山から。
 和歌山の山本さんは彼女が中学2年の初夏(1973年)、小菅拘置所の石川に手紙を出したそうだ。手紙を出したことも忘れた1973年11月、石川から、原稿用紙4枚に小さい字でびっしりと書かれた手紙が届いたそうだ。「石川さんを励まそうと書いた手紙が、逆に私をとても励ましてくれた」という。手紙には「何より勉強をするということは、人のためではなく、自分自身が生き抜く闘いの唯一の武器である」「少しでもたくさん勉強できるよう励んでください」「和歌山から応援してください」と書かれたその手紙を宝物のように大事に持っていてくださり、それを見せてくださった。

 石川は、苦しい闘いの年月を過ごしたが、それでも彼の闘いが、多くの人を励まし、勇気づけたと思うと、石川の苦しみ抜いた闘いの年月も、意義あるものだったのではないかと私は思う。
 
 滋賀の女性部からは、今回も東京高裁・高検への要請はがきが配られた。
 奈良のTさんは石川と同じ年だそうで、元気な発言がうれしかった。

 「3次で必ず勝利して終わる」という全体の総意が感じられ、大きな力と湧き上がる感動を頂いた。
 
 5月13日、母の17回忌にも手を合わせることができた。