狭山事件の再審を求める6.20墨田集会
2019年6月20日、墨田区社会福祉会館で上記集会が開かれた。
会場に入り驚いた。10位のテーブルがおかれていた。パーティ形式のようで、例年の集会とは違っていた。「最大の山場を迎えた狭山の闘いに石川さん夫妻を囲んでの交流集会にしよう」と企画されたそうだ。
「狭山と私」を語り合い、みんなで狭山再審勝利にかける思いをつなぎ、闘いの団結とエネルギーを作り出す集会にしたいとの主催者の思いが伝わった。頂いたチラシは、「~石川さんへ~みんなで語る『狭山と私』」と題して、一人ひとりの狭山への思い、狭山との出会い等が書かれていた。50年位前、高校1年生で、16歳の時狭山に出会ったというFさん、「狭山闘争は私の解放運動の背骨であり、狭山闘争はいつも私の人生・解放運動と共にありました。狭山闘争は私の解放運動の中で最高の闘いであり、誇りある闘いです」 高校2年17歳の時狭山に出会い、やがて50年というYさん「私にとって狭山闘争は、青年時代からこれまでの人生そのもの」
Tさん「息子と一緒に高裁前アピール行動に参加して、息子は初めてマイクを持ち自分の気持ちを思いっきり高裁にぶっつけた。私が狭山を知ったのは高校生の時、日比谷公園に全国から11万の人が集まったことが今も目に焼き付いている」 Tさん「狭山事件にはじめて出会った時の衝撃は今もわすれません。差別は『跳ね返せる』ということを石川さんの生きざまが教えてくれました」等々が語られていた。皆さんの結びの言葉は「一日も早い無実を勝ち取る闘いを続ける」とあった。
いつもは大体一方的に支援のお願いをして終わるという形が多いが、このような形は初めてで、石川も皆さんのお話に耳を傾けていた。素敵な歌のプレゼントや、女性部の皆さん手作りのお手玉等、温かい心をいっぱい頂いた。
最後に主催者を代表して藤本忠義さん(東京都連委員長、墨田支部書記長)から、「新証拠を力に、狭山を勝利するという強い思いが狭山を動かすカギ。その思いを今日の集会で共有した。狭山裁判を勝利することは私たちが生きることだ」と話されたことが胸にしみた。
集会の冒頭、1993年からの墨田での狭山集会の歴史をDVDで視聴した。石川が仮出獄で出る前年からだが、当時から狭山劇等、様々な工夫をこらして集会が取り組まれてきたことを改めて知った。
4月に足を骨折した京子さんにもやっと出会えた。京子さんが転んで骨折、入院・手術と伺った時は本当に心配した。5月に徳島で開かれた全国女性集会、5,23狭山市民集会で必ず素敵な笑顔を見せてくれた京子さんがそこにいなかった。でもこの日は松葉杖の京子さんがいた。それだけで周りが明るい。京子さんはひまわりのような人だと思う。
今年1月14日、石川の80歳の誕生日、石川は生まれて初めてバースディーケーキを一口食べ「おいしい」と言った。そのことを私はホームページに書いた。その文章を墨田支部の識字学級で読み合わせをしてくださったそうで、この日、半年遅れの石川の誕生日をケーキで祝ってくれた。温かい心に胸がいっぱいだ。ろうそくを消してと言われて、ろうそくの消し方がわからなかった石川
彼の人生を垣間見る。「狭山事件の再審を実現しよう」に報告が。
狭山事件は発生から56年、支援し続けてくださった方たちも年を重ねている。石川はこの日も元気に支援の訴えをした。
しかし、明日はどうなるかわからない。雪冤が晴れる日を待ち望むし、そのためにも毎日を大事に、皆さんの思いを力にして闘い続けたい。