第41回平和と人権・狭山事件を考える 池田市民集会  2019年8月6日

 炎天下の8月、ふらっとイケダで狭山集会が開かれた。開会あいさつは部落解放同盟池田支部・南健司代表。南さんとは個人的に28年ほど前から知り合っており、石川と結婚をした翌年には市民集会に呼んでいただいた。16歳の高校生の時、初めて東京で開かれている狭山集会に参加したそうだ。「月夜のムラで星を見た」等多くの本を出している作家でもある。南さんが作られた映像での講師紹介や、狭山の闘いなど、懐かしくまた素晴らしいものだった。
 ゲストの狭山事件再審弁護団主任弁護人の中山武敏弁護士から「1972年獄中の石川一雄さんから『自分は部落差別の中で教育を受けられなかった。そのことは恨まないが、しかし教育を受けられなかった者に対する国家の仕打ちの冷酷さ、それが許せない思いで残っている』と書かれた手紙をもらった。これが私が狭山事件に関わる原点となった」と話され、「1974年10月31日の寺尾有罪判決後面会したとき、石川さんは泣きながら『今後は証拠開示に力を入れてほしい』と訴えた」と話された。中山弁護士は今体調を崩されているが、狭山が生涯の自分の弁護活動の原点であり、勝利まで決して倒れないで闘うとの思いがこもった報告だった。

   
池田支部・南代表  狭山事件弁護団・中山弁護士 

 フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」管理人の野島ミカさんは「2012年2月偶然に通りかかった高裁前で、アピール行動をしていた狭山と出会ったことが私の人生を変えた。はじめは石川さんのためにと思っていたが、いつのまにか「狭山は自分のために戦う、私の狭山、との思いが強くなった。狭山に出会って3ケ月後、狭山現調をし、自分自身何ができるかと考え、2013年1月からフェイスブックで狭山の発信を始めた。狭山に出会い、差別者としての自分自身の気づきと、そこからの解放、多くの人との出会いと学び。狭山の闘いの豊かさを伝えたい」と話された。石川は、今度が最後の闘いとの意気込みで、事実調べ、再審開始への熱い思いを語った。遅い時間、また台風接近のニュースの中で、多くの人に来て頂いた。ありがとうございました。