部落解放第64回関東女性集会  2019年8月24日~25日

群馬県みなかみ町「ホテルジュラク」で開かれた関東女性集会
今年も元気に戦い続けている女性たちとお会いすることができた。
狭山からみなかみまで、車で2時間余りなのだが、高速道路の渋滞で、3時間以上かかった。土日はいつも渋滞するので、余裕をもって出かけたのでいらいらせずに済んだ。

 
 東京新聞記者 望月衣朔子さん

開会あいさつ、荊冠旗入場、女性たちが胸張って入場する姿は、いつも胸が高鳴る。
24日、主催者挨拶は部落解放同盟関東甲信越地方協議会の片岡議長「狭山の闘いは最終場面に来ている。持てる力を結集し、石川さんの56年の闘いを共に戦い抜こう」と挨拶。片岡議長は、地元・埼玉県連の委員長。地元の闘いが私たちにとって大きな支えであり、力だ。

石川は「無学であったがゆえにだまされ、現在も皆さんにご迷惑をおかけしていることが心苦しい。しかし、この裁判も今佳境に入っている。私自身も今が一番緊張を強いられている。弁護団や支援者の皆さんがたのご尽力で、無実を明らかにする科学的な鑑定が出されている。これを調べさせることが最重要。高裁の後藤裁判長に、私は期待している。私の元気な間に冤罪を晴らしたい。」と支援を訴えた。

   

東京新聞 社会部記者 望月衣朔子さんから「報道の自由と人権・平和~新聞記者として今、言わねばならないこと」と題した講演があった。官邸とメディアの裏側を描いた映画「新聞記者」が今大きな反響を呼んでいるが、そのモデルでもあり、著者でもある。彼女の一番のテーマは「権力側が隠そうとすることを明るみに出すこと」であり、「憲法とは支配者の暴走を防ぐもの」との信念が彼女を突き動かしているのだと思う。最後にガンジーのことばを引用された「あなたのすることの殆どは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分自身が変えられないようにするためである」と話された。私自身はこのように考えたことはなかった。何かをすることに無意味であると思ったこともないし、ほんの少しでも変えたい、と思ってきた。知らなかったことや、知らねばならないことの多くを講演の中で学んだ。きっと彼女には、大きな力からの目に見える攻撃、見えない攻撃がかかっていると思う。さっそく彼女の本「新聞記者」を買った。‥…なかなか読めないが・・・・
25日、狭山分科会に会場いっぱいの人が来てくださった。部落解放同盟埼玉県連北足立郡協・古川邦子さんから取り組みの報告があった。狭山劇、狭山朗読劇、石川の短歌を題材にしたちぎり絵の作成等、多彩な取り組みが続けられている。

ちぎり絵 6首 
故郷に 父母は嘆きて存すなり 無実を叫ぶ吾を信じて   1965年10月4日
 泣けるだけ泣いても癒えることでなし 怒りの渦は日夜逆巻く 1965年10月4日
 楽しげに餌をついばむ雀等に 襲いかからんモズの一羽見ゆ  1965年
 蜘蛛の巣に蝶思わせる葉のからみ 風に揺られて夜は更け渡る  1966年12月29日
 踏まれても 春に芽を吹く野の草の 根強き力我も学ばん  1970年2月8日
 同胞の怒りと悲願の荊冠旗 今日も頭上に輝きなびく 1973年11月3日 

   
   

会場から質問、激励の言葉を多くいただいた。
会場を出ると今年もコスモスが咲いていた。
帰りの高速道路では、事故渋滞に巻き込まれ、帰り着くまでに3時間半かかった。
女性集会はいつも温かい。地に足つけた闘いの報告は力強い。不思議と疲れはなかった。