狭山事件の再審を求める市民集会  2019年10月31日

 寺尾判決から45年目の10..31。長い年月が過ぎた。
2006年から3次再審が始まった。2009年の門野裁判長のもとで三者協議が始まり、門野裁判長の証拠開示勧告で、狭山が動き始めた。それまでの長い闘いがあったことはいうまでもない。
 10時45分から日比谷公園・健康広場で前段集会後、高検・高裁に要請行動。その間、高裁前でビラ情宣行動を続ける。
12時45分からプレイベント うじきつよしさんのコンサート

 
 えん罪狭山事件   ストーンリバー
フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう
に詳細が載っています

 13時開会
部落解放同盟中央本部組坂委員長、各政党、の挨拶。
石川が「忍耐も限度だが、それでも粘り強く戦う」とアピールし上記歌を詠んだ。
弁護団報告、基調提案に続き袴田秀子さん(袴田事件再審請求人 袴田巌さんの姉) 菅家利和さん(足利事件冤罪被害者) 桜井昌司さん(布川事件冤罪被害者)から連帯アピール
市民の会からは石坂啓さん(漫画家) 鎌田慧さん(狭山事件の再審を求める市民の会事務局長)のアピール
実は多くの人から石坂啓さんと鎌田慧さんのアピールがとても良かったと伺ったが、私はほとんど聞こえなかった。"(-""-)"
右の耳が全く聞こえない上に、発言される人の後ろに座っていたからだと思う。
集会後デモ行進。今回は最後の最後の大きな山場との意識があり、とても緊張していたが、集会前に全横浜屠場労組の皆さんに10・31狭山職場スト決起集会のビラと集会報告を伺ったり、「県南・石川一雄さんを支援する会」(埼玉の住民の会)から署名55筆を頂いたこと、奈良県の中学2年生や、福岡の解放子ども会の皆さんからメッセージを頂いたことで、「よし」と思う気持ちが強くなった。神奈川県から85歳のミサイさん、絹子さんが駆け付けてくださった。デモ行進最終地点で皆さんと固い握手を交わした。東京、栃木から車いすでいつも参加してくれている白土さんたち。長い闘いの中で、多くの人がご高齢になられているが、それでも最後までデモ行進を貫徹して下さった。
長野から、入退院を繰り返しながらも必ず集会に駆けつけて下さる雪子さん。40年以上集会に参加されていた兵庫県のHさん、東京のAさん、多くの姿が見えない。狭山勝利号(釜ヶ崎日雇い労組)に出会えなかったことが残念だったが、デモ最終地点で皆さんと固い握手ができた。

今は検察の悪あがきともいえる抵抗が続いているが、近いうちに真実が明らかになると確信している。こんなに厳しく、こんなに長く、こんなに熱く、こんなに温かい集会は世界の歴史の中でもないと思える。きっと勝つ。そのように思えた10月31日。