部落解放研究第55回全国大会   2022年11月15日~16日

 鳥取県米子市産業体育館を中心に全研が開かれた。
3年ぶりの対面での全研。

 
 中央共闘副議長・山根木さんと

 15日は11時から受付、13時から開会。一雄は飛行機に乗らないので、新幹線で行ったが、片道9時間ちかくかかる。
前日の14日から米子に入る。
8時間以上座っていたので、一雄は「尻が痛い」と米子駅からホテルまで800メートルの距離だったが、途中で休んだ。「痩せているので骨があたった」と、やせ我慢。このようなことは初めてだった。いつも元気だが、やはり年を重ねていることを感じた。

 翌日の全体集会で石川は「最大の山場に来た狭山闘争への更なる支援を」と訴えた。
この日も、ホテルに着くとすぐに倒れ込むようにベッドに入った。心配したが、16日朝は、元気に起きたのでホッとする。


 
 大阪・Hさんより・写真提供

 翌16日、「狭山事件の再審とえん罪防止に向けた課題」の第4分科会は、狭山事件、大崎事件、袴田事件の報告。検察の証拠隠し、裁判の引き延ばし、捏造などの構造は変わらない。連帯して闘うことの重要性を再認識した。

 
 兵庫県三木町:住民の会:Sさん

 最前列に座られていた3人から「私たちは福岡県から来ました。小学校の教師です。先輩が狭山現調に行って、その報告を熱く語られました。私たちは石川さんにお会いしたい、話を聴きたいと狭山分科会に参加しました」と話しかけられた。

うれしかった。一雄がいつも思っていることは「教育」の重要性だ。だから獄中では手紙を出すのは一日何通と限られていたそうだが、限られた範囲の中でも、学校の先生方と子どもたちに一番多く手紙を書いたという。


10月28日の狭山集会でも、奈良県や福岡県の子どもたちからメッセージを頂いた。今一雄は目が見えにくく書くことに不自由しているが、口述筆記で一雄の思いを手紙に書いた。一雄の最後の言葉は『私の様にならないように、皆さんは一生懸命勉強をしてください』だった。 

 
 袴田秀子さんはリモートでの参加

 分科会で一雄は「私が元気な間に何としても再審開始、無罪獲得をしたい。今裁判所に鑑定人尋問をするよう狭山弁護団が請求している。事件発生から60年になる来年には皆さんの力で、再審開始が実現するようお力を貸してほしい。来年の5月・6月ごろには何らかの判断が出されるのではないかと思っている」と訴えた。

 16日、狭山の家に着いたのは23時過ぎ。体調はあまり良くなかったようだが、「尻が痛い」と言わなかったのでホッとした。
一雄は、弱音をはくことが嫌いで、やせ我慢をする。『それが男だ』と変に思っている。
「男はつらいね。しんどい時はしんどいでいいんだよ。もうすぐ84歳なんだから。皆さんわかっているから」と言っても信念を曲げない。
でも、皆さんにお会いして元気を頂いたようで、16日夜は何時もの一雄に返っていた。
本部のYさんにご心配をかけた。一雄の命を多くの人たちが見守って下さっている。ただただ感謝!

第25回人権教育・啓発リーダー研修  2022年11月17日

 一般財団法人埼玉人権・同和センター主催の上記研修会が「大宮ソニックシティ」で開かれた。
狭山事件が起きた地元県で、企業や行政で人権問題に携わる人たちの研修はうれしく、ワクワクしながら行った。
40人位の人が来られていた。
事件発生当時、マスコミが一雄の住む地域を「悪の温床」と書き立てたこと、石川が義務教育である小学校すらほとんど行かなかった、行けなかったこと、そして中学校には一日も行ってないこと、このことを放置していた行政や、学校関係者があった。
 私は就職の時、就職差別を受けた。多くの被差別部落の人たちが、このようなことで苦しみ、悩んだ。今年は水平社創立から100年になる。血のにじむような闘いの中で、さまざまに勝ち取ってきた権利もある。労働組合の運動でもそうだが、闘いがあって生活・人権が守られるし、闘いが弱くなれば勝ち取ってきた権利も奪われる。
企業、行政が人権について学ぶことは、喜ばしいことだ。
部落差別、女性差別、障がい者差別、あらゆる差別の根っこは繋がっていると思う。
二人で思いを熱く語ってきた。