徳島で集会  2023年2月9日~10日

 
 2月9日 全体集会(あわぎんホール)

2023年2月9日~10日、徳島で「第43回部落解放・人権徳島地方研究集会」が、あわぎんホールを中心に開かれた。
今回はうれしいことが一杯あった。

9日の徳島新聞の朝刊に、「今年こそ再審開始を」とのタイトルで、二人のカラー写真付きで大きく狭山記事が掲載された。9日だけでなく、10日の新聞には9日の全体集会で挨拶をする私たちの写真と記事が載ったこと。さらに11日の新聞にもアスティ徳島で開かれた狭山分科会の写真と記事が掲載された。連続3日間の狭山記事にとてもうれしく、山場にある狭山事件の今、私たちは大きな力を頂いた。
➁徳島地方研究集会への私たちの参加は3年ぶり(昨年はビデオメッセージによる参加)で、親しい友人たちと出会えた。

 
 2月10日 狭山分科会 アスティ徳島

③今狭山の新たな署名活動を行っている。紙による署名は9月半ばから1月半ばまでの4か月で30万筆を頂いた。お一人おひとり、そして組織の皆さんのおかげだが、オンライン署名はなかなか伸びなかった。
2月8日、オンライン署名に、T・恭子さんとAさんのお名前があった。恭子さんは以前私が徳島で働いていた時、机を並べて仕事をしていた人だ。とても優しくて思慮深い、素敵な人だった。彼女は今県会議員になられていた。2月9日、全体集会の会場に彼女が会いに来てくれた。うれしかったなぁ~。
また、Aさんは以前の保護司さん(定年で今は保護司を辞められている。石川は今、仮出獄で、保護観察中の身。1994年に仮出獄し、29年が過ぎた今も保護観察官、保護司との面談が科せられており、選挙権、被選挙権も奪われたままという「見えない手錠」に縛られたまま)で、保護司を辞められる時、「一人の人間として、これからも石川さんを応援しています」とおっしゃってくださった。そのAさんもオンライン署名をしてくださっていた。

 
 2月10日:狭山分科会

④2月9日の徳島新聞を読んだMさんから9日の夜何度もお電話を頂いていた。私は今耳が聞こえにくくなっており、気が付かなかった。10日朝、Mさんにお電話をした。「今日(10日)の集会に参加したいが場所はどこか?」と聞かれた。午前中は行けないが午後から狭山分科会に来てくださるという。Mさんは中学校の同級生。このことも飛び上がるほどうれしかった。10数年前、Mさんから突然お手紙を頂いた。お手紙には鎌田慧さんが書かれた「狭山事件」の本を読まれて「石川一雄さんのお連れ合いさんの早智子さんは同級生だったさっちゃんだ」と直感したそうだ。徳島出身で年も同じ「早智子」と言う名前も同じということで、お手紙を下さった。たくさんのカンパも頂いた。多分40年から~50年以上お会いしていない。それでも会場に来て下さった時、すぐにわかった。彼は頭がよくて、いたずらっ子のようで、すごく優しい子だった。よく考えてみると、中学生の時は差別は感じなかった。「ムラ」の子が四分の一位いたからかもしれない。私自身もムラの子も自分自身が「被差別部落」ということもほとんど知らなかったのではないか。私自身は知らなかった。
 9日、地方研究集会全体集会 10日、10時から16時まで、アスティ徳島で狭山分科会があった。

ストーン・リバー (exblog.jp)
狭山事件の再審を実現しよう」フェイスブック に新聞記事等掲載されています。

徳島県国保労組での狭山学習会

 
 今年も皆さんから激励の寄せ書きを(2月9日)

 9日、17時30分から国保労組での狭山学習会があった。3年ぶりの学習会。私の以前働いていた職場の労働組合である。私が職場・組合を辞めて26年以上になるが、今も、このように狭山を闘い、毎年私たちを呼んでくれて、狭山学習会を持ってくれている。私が今あるのは、この職場・労働組合があるからだ。55年以上前、職場に入った当初、組合もなく、部落研もなかった。毎日のように部落差別発言、事象に私はつぶれそうになっていた。ちょうど同対審答申が出され、徳島にもその具現化に向けて部落解放運動の大きなうねりの中にあり、毎日のように荊冠旗を掲げゼッケンを付けた部落大衆が手弁当で市役所に来て行政交渉を行えと声をあげていた。なかなか交渉に応じない行政に怒りの声をあげていた部落大衆を見ながら、職場の一部の人が差別的な言葉を投げ続けていた。団体交渉を求めるのは部落大衆だけでなく、労働組合も例えば農業団体等にしても、当たり前にあるのに、なぜ部落の人が決起すればこのように差別的な発言が出るのか、私はただ唇を噛みしめるしかなかったあの頃。職場で労働組合ができ、何年かして部落解放運動に取り組み始め狭山事件を中心に学習、闘いが始まった。獄中からの石川のメッセージに出会い、私自身の生き方が変わった。「一緒に頑張ろう」と言う職場の仲間がいた。
狭山の闘いは私の生きがいとなった。狭山に、石川に、力をもらった。
今年も女性部の人たちから激励のメッセージをもらった。この2年、私たちが来られなかったときは、みんながメッセージを送ってくれた。
素晴らしい仲間たち。

 2月10日、「第27回狭山事件を考える徳島の会総会」

 
 木村代表の挨拶(2月10日)

 2月10日、18時30分から徳島の会総会があった。
代表の木村清志弁護士(狭山弁護団)から狭山の現状や、山場の狭山の取り組みについて更なる闘う決意の報告があった。
総会への参加も3年ぶり。総会後狭山学習会。ここにも徳島新聞のKさんが取材に来てくださっていた。
ふるさと・徳島はいいなぁ~ あったかいなぁ~

2日間、昼も夜も多くの人に出会えた。門付けに回っている「阿波木偶箱回し」の中内さん、南さんたちにはお会い出来なかったけれど、温かいお手紙を頂いた。毎年狭山分科会に来てくださる「さっちゃん」、体調を崩されていても「母が、早っちゃんたち、元気でいるのだろうか。裁判はどうなっているんだろうかと、いつも心配してる。」と息子さんから伺った。
長すぎる狭山裁判闘争。一日も早くたくさんの人に朗報を届けたい。

 この二日間、4つの会場で、いろいろと思いが重なって私自身の気持ちが熱くなり、感情的になって狭山を訴えたように思う。一雄は長い闘いの中で、ある程度感情をコントロールできる。闘いの厳しさ、長さが、彼を鍛えたのだろう。私はだめだなぁ~と反省しきりである。