「第50回差別とたたかう上ノ島文化祭」
2025年10月17日、文化祭の記念講演会「ムラに生まれて~狭山事件を通して~」と題して作田晃さんと石川早智子の講演会が地域総合センター上ノ島 集会所で開かれた。
「1942年、広島の被差別部落で生まれた作田さんは、1970年、『部落解放国民大行動』の行動隊に1か月間、行動隊員として参加。その行進の中で、同じ隊員の中野博喜さん(徳島出身)と共同で「差別裁判打ち砕こう」の作詞・作曲をして、行動隊の中で歌った。以後、長く狭山差別裁判闘争の闘いの中で全国で歌い続けられています。作田さんは、地元の生活の糧だった、川魚を採る仕事、お母さんが出ていた角付け芸「春駒」と今に受け継ぐ数少ない方です。さらに、竹細工師でもあります。(資料紹介欄より一部抜粋)」。作田さんのことは、「差別裁判打ち砕こう」の作曲者としては、知っていたが、お会いするのは始めてだった。
32年間の獄中生活を経て、社会に出てきた一雄は、この歌を聴いて「今は石川青年でないから、違和感を覚える」と言っていた。32年ぶりに社会に出て始めてこの歌を聴いたときは56歳。違和感を覚えて当然だったろう。しかし、すぐに「よく聞くといい歌だ」と、言っていたのを思い出す。
「若いころはやんちゃしてたが、狭山の闘いを知って生き方を変えた。石川さんは無実だと確信していた。狭山を知ってから、これまで、私は狭山一筋に生きてきた」と語る作田さん。歌ができるまでのエピソードや、闘いを話してくださった。
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| 「差別裁判打ち砕こう」 作曲者の作田さんと | 手話通訳の皆さんありがとうございました |
笑顔がステキで、楽しそうによく笑う。その笑顔に引き込まれる。作田さんの応援団が広島から4人、大阪からも。作田さんのお人柄だろう。講演会の最後に「差別裁判打ち砕こう」を皆さんで歌った。作田さんがマイクを持ち、朗々と歌う姿に一雄の姿を重ねた。私もだんだん力が出てきて、大声で歌った。
竹細工のお師匠さんでもある作田さんの自称お弟子さんから「ミンサー織」のステキな竹細工の籠を頂いた。ミンサー織の意味は「『いつ(五)の世〈四)までも末永く私と共にいてください』という意味が込められています」と教えて頂いた。
セっちゃんや、たくさんの人から「『10・31』また会おうね」と言ってくださった。
闘いの中で力を頂く。一雄、うれしいね。一雄、また会えるかな?
皆さん、ありがとうございました。