「無実を勝ち取る日まで」~部落差別による冤罪事件の真相究明を!~
2025年11月16日、滋賀県の近江平安教会で上記講演会を開いて下さいました。
一雄が3月11日急逝。4月11日の月命日にステキな花束を送ってくださった谷本一廣さん、芳子さんから、6月に『11月に行う第55回近江平安教会創立記念日』にぜひ来てほしい」との電話を頂いたのです。
私たちは24年前にも呼んでいただきました。当時、平安教会の神父をされていた谷本さんの部落問題に対する真摯な取り組み、石川一雄への温かいご支援に接し、感激したものでした。それ以降、教会の皆さん方ともずっと交流が続いていました。5月23日、10月31日の狭山市民集会にも、必ず来てくださっていました。5~6年前から車いすの生活をされるようになった谷本さんも、3年ほど前までは車いすで集会に来て下さったこともうれしいことでした。
今年の5・23、10・31集会は、鳥井新平さん(近江平安教会の神父様)とIさんが来てくださいました。
24年前の皆さんとの出会いはよく覚えています。家族のように迎えてくれました。
「是非お伺いしたい」と即、お返事させていただきました。
会場一杯に狭山のパネルや一雄の写真、24年前の写真や、その時一雄が書いた「短歌」も。
主催は「日本基督教団近江平安教会いばらの会・宣教部」。
私はIさん作品の狭山Tシャツ着て、わくわくドキドキ出かけました。会場につくと24年前にタイムスリップしたような気持になりました。
谷本さん、お連れ合いの芳子さんとハグ。
大阪・兵庫からも来てくださっていました。
一雄の葬儀の時も駆けつけて下さったYUTAKAさんが愛知県から来てくださいました。彼女とは10年以上前、兵庫県で開かれた集会で出会いました。1977年4月1日、一雄が千葉刑務所から出した彼女への手紙を宝物のように持っていてくれました。彼女が高校2年の時に出した手紙の返事を千葉刑から一雄が出していたのです。その手紙をコピーして頂き、今も大事に持っています。彼女は高裁アピールにも来てくださいました。
「東京都葛飾区小菅1丁目35番1号」「石川一雄」と書かれた封筒。便箋一枚一枚には、桜の花びらのような印で囲った中に『東』と印字されています。東京拘置所の印でしょう。手紙を出すのも何通、便箋も何枚と決められ、何もかも規則に縛られていた獄中生活。小さい丁寧な文字でびっしり書かれた手紙。手紙が命の綱であり、文字を書くことが喜びであった一雄の気持ちが伝わります。48年前の手紙を今回も持ってきてくださいました。「私の宝物」として、ずっと肌身離さず持っていてくれた彼女。一雄よかったね。
いつも草津駅で狭山情宣行動を続けてくださっている住民の会の皆さんとも出会えました。署名も頂きました。
午後1時から始まった会。5時過ぎから夕食会。お弁当がすごくおいしかった。その後、参加された皆さんお一人お一人からの発言。午後7時頃まで温かい交流がつづきました。
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鳥井牧師がギター演奏をしながら、岡林信康さんの「友よ」を歌い、全員で「差別裁判うち砕こう」を歌い、最後にいばらの会の原田会長が「水平社宣言」の朗読。
何もかも心に刻まれたステキな時間を皆さんと共有できました。本当にありがとうございました。24年前、5歳だったHIRAGIさん、一雄と一緒に写した写真が飾られていましたが、30歳になった彼女と、24年前の写真の前で、同じポーズで彼女と記念写真を。
11月11日、一雄の月命日にもステキな花を送ってくださった一廣さん、芳子さんからステキなマフラーや、「ココちゃんのベッドに敷いて」とチエックのステキなスカーフの敷物。温かいソックス等頂きました。皆さんから一杯の温かいお心や、お土産を頂きました。力がわき、楽しい一日でした。皆さんありがとうございました。
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2025年11月17日、午後狭山に帰った。ここちゃんが待って待ってしてくれていた。
午後3時過ぎ、解放新聞・埼玉版の解放新聞の新年インタビューの取材に行く。