2011年3月24日、「狭山事件の再審を求める市民集会」が東京・星陵会館で開かれました。
1964年3月11日、浦和地裁で「死刑判決」が出され、それから47年後の2011年3月11日、浦和・ときわ会館で「死刑判決47ヵ年糾弾」埼玉集会が開かれたその日、東日本を中心に大きな地震とそれによる津波、その後の原発事故による大惨事。毎日伝えられる被災された方、亡くなられた方、そしてあの日から2週間になる今も「行方不明者」の報道にただただ胸がつぶれる思いでいます。原子力発電所の電力を使っているのは私たちです。そして発電所は私たちから遠いところに作られ、そのことに対して「反対」の表明はしても、積極的に運動に参加したこともない私自身を恥じています。被災された方々の悲しみや不安に思いを馳せ、私自身ができることはなにか、考えています。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 3月16日には布川事件の判決が出される日でしたが、布川事件でえん罪を訴え続けている桜井昌司さんからの3月14日、「裁判延期。5月24日になった」というメールに驚きました。どんなにかこの日を待ち続けたであろう2人に思いを馳せるとき、またまた胸が苦しくなります。
  狭山も11日からは停電、ガスや水道が止まるなどしました。どれ一つ止まっても今の生活は成り立たないほどの不自由を強いられます。今も1日のうち1〜2回停電します。ニュースでは、1日2回、6時間の計画節電とのことですが、5分とか、10分、2時間のときもあります。計画節電という名ではありますが、全然計画的ではなく、毎日戸惑っています。本当は停電の時間は短いほどいいのですが、東電や、マスコミが流す情報に、振り回される毎日です。

 3月24日の集会でお会いした、東京・中央区に住まわれている人から「私の住んでいるところは計画節電はされていない。停電になったことはない」と伺いました。驚きました。「電力不足だから仕方が無い」とあきらめるように煽りながら、都心部を節電対象からはずしている、この東電の対応はどういうことなのか!と怒り心頭です。狭山は節電対象のどこのグループに入るのかと以前市役所に電話したとき、東電の電話番号を教えていただきましたが、電話をしても通じなかったことを思い出しました。そのときは皆がいっせいに電話で聞いているのだろうとあきらめましたが、東電はこのような対応を今もなお続けているのです。

 市民集会はまず被災し、亡くなられた方たちへの黙祷から始まりました。
主催者である狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会代表の庭山英雄弁護士の挨拶、部落解放同盟埼玉県連作成のDVD「動き始めた狭山裁判」の上映後、狭山弁護団からの報告がありました。
前日の3月23日、6回目の三者協議があったことを踏まえ、「提出された新証拠の意義と事実調べの必要性」について報告がありました。

   
開会挨拶:庭山英雄弁護士  中山武敏主任弁護人 



 狭山弁護団である福島瑞穂さん(社民党党首) 辻恵さん(衆議院議員)から「大義と正義を背景に闘っている狭山が司法と、この国を変える突破口となる。全面可視化に全力を尽くす」と連帯の挨拶を頂きました。

   
社民党党首:福島瑞穂さん  民主党国会議員:辻恵さん 
 
 狭山事件を考える青森県住民の会
一戸さん

 基調報告で松岡徹中央本部書記長から「”真実を曲げることは出来ない”というところまで追い込んでいる。今がチャンス!一人ひとりが狭山再審の世論を高めることが勝利に繋がる。裁判所と検察庁に対して、証拠開示を求めるハガキを出していただきたい。また、取り調べの可視化法案実現を求める署名に取り組む。」と結ばれました.。

 「狭山事件を考える池田市民の会」ブログに集会の様子が掲載されています

 
 さまざまに困難な中を多くの人が集会に駆けつけてくださいました。狭山は今大きく動いています。そのことを肌で感じ、闘いのなかで確信します。長い闇を切り裂き、狭山の闘いに、石川一雄に、さんさんと光が注がれる日まで、精一杯の闘いを続けます。

 この日狭山現地事務所の桜の花は満開でした
狭山の闘いも花開けとばかり
空に向かって咲き誇っていました