大崎事件2021年1月に鑑定人尋問

 1979年10月、鹿児島県の大崎町で起きた大崎事件で殺人罪で服役した原口アヤ子さんは、無実を訴え裁判のやり直しを求めている。
2020年3月に、4回目の再審請求を申し立てた。原口アヤ子さんは93歳。 
5月14日に第1回目の三者協議が行われた。11月6日、4回目の三者協議が開かれ、弁護団が提出した新証拠を鑑定した専門家の鑑定人の尋問が2021年1月7日~8日に行われるというニュースが飛び込んできた。うれしいニュースだった。
そもそも殺人事件ではなく、事故であるとして無実を訴え続けてきた原口さんと、弁護団の闘いが一歩前に進んだ。

狭山事件でもそうだが、弁護団が提出した新証拠の鑑定に対して、裁判所は、なかなか調べようとしない。鑑定人尋問は冤罪を晴らすための一丁目一番地なのだ。原口さんが生きて冤罪を晴らすための大きな一歩が刻まれた。

狭山事件はこの2~3年、特に無実を明らかにする新証拠(科学者の鑑定)が出されている。
狭山事件は事件発生から57年になる。2006年5月に第3次再審請求をしてから14年、第3次再審請求になって始まった三者協議は44回を数えた。弁護団や、支援者の闘い、頑張りで、ここまで来た。
原口さん、袴田巌さん、石川一雄は共に高齢だ。冤罪を晴らす戦いは決してやめないが、一日も早い再審開始・無罪判決を待ち望む。

 
 庭山弁護士

 何時だったか、故庭山英雄弁護士(狭山事件の再審を求める市民の会・代表、法学者、刑事司法の改革の先頭に立ち、国選弁護人制度の創設に尽力。生涯、弱い立場の人に寄り添って生き、戦われた。狭山事件の冤罪を晴らすために、亡くなられる直前まで奔走された)に、「どのようにすれば狭山の再審が開始されるんでしょう?」と伺ったことがあった。先生は「正義感ある、いい裁判官にあたったらいいね~」と話されたことが今も心に残っている。
庭山弁護士は狭山市にお住まいだったこともあり、何度も現調をされた。自宅から狭山の現地事務所まで10キロ以上あるのだが、お元気な時は歩いてこられた。私たちも庭山弁護士の自宅に何度伺ったかしれない。

原口アヤ子さんはいい裁判官にあたったのだろうか?鑑定人尋問の結果はまだわからないが、裁判官が「矛盾があれば調べなおす」という裁判の基本、再審制度の根幹を決しておろそかにすることなく、全うしてほしい。真実を明らかにするという使命を全うしてほしい。

    
 10.31狭山事件の再審開始を求める新潟行動  
狭山「市民アピール・デモ」イン豊中(2020・10・30)















11月に入り新潟・部落解放同盟長谷川委員長からメールを頂いた。10・31集会の報告や、写真が添付されていた。
また、新潟・曹洞宗の野田尚道さんから、10.31集会の報告や、前段の学習会についてのお手紙を頂いた。学習会の講師は津山晴彦さん(佐渡・扉の会)で、事件当日の天気図等を収取、分析して、「事件当時の狭山市は30㎜/時の雨天だった」と報告され「30㎜/時の雨は強く、水はけの悪い道は2~3分でグジャグジャになりますし、低い箇所には水がたまり、自動車が走れないほどのプール状態になります。小柄な石川さんが豪雨でぬかるんだ畑道を女子高校生の遺体を両手で抱っこして運んだとの証言は、あり得ないことです。」と話されたそうです。
狭山事件は、弁護団だけでなく、各地でこのように、学習、分析され、狭山闘争を何としても動かそうという人たちに支えられています。


11月9日 埼玉の赤嶺さんからおいしいトマトを送って頂いた。
石川は毎日、トマト、納豆、野菜(最近は温野菜) モズク、は欠かさず、後は、豆腐、そば、うどんなど、そのときその時だが、このような食生活が石川の健康の秘訣かもしれない。

11月4日、滋賀のヨッチャンから15筆の署名が届いた。お手紙には、初めての参加者が4人いて下さり、7人で毎月の草津駅西口での「市民の会・しが」の狭山情宣行動をされたそうだ。コロナ禍の中で署名もなかなかしてもらいにくい状況にあるなかで、ただただ感謝だ。

11月6日、現地調査の途中に見つけたコスモスの花を見に行く。

11月6日、石川は家の絨毯を洗う。年に数回の作業だが、几帳面な石川は、手を抜かないので、いつもこの後は疲れるようだ。

   

上記は1969年の獄中歌だ
石川は、今もなお狭山の春を待ち闘い続けている